aki-1

今から約10年前の話ですが、とても興味深い話なのでご紹介いたします。

陸上自衛隊に入ってまず、学ぶこと

jieitai-yakuzaishi-1

陸上自衛隊では野外で医療活動を行うことが多く、色んな職種の医療関係者が働いています。

幹部自衛官という役職も持っている医師(医官)、歯科医師(歯科医官)、をはじめとして、看護師(看護官)その他、臨床検査技師、診療放射線技師、救命救急士などの養成をしています。

彼ら達は日本全国の自衛隊病院、各駐屯地の医務室、衛生科舞台などに配属され、勤務しながら自分達の職種の技術向上に励んでいます。

幹部自衛官である薬剤師(薬剤官)においては内部での薬剤師養成はされておらず、有資格者か見込みの者を幹部候補生として採用されます.

入隊後、久留米市にある陸上自衛隊幹部候補生の学校に入校し、一般大学の卒業生と一緒に幹部自衛官としての必要な基礎知識や技術習得を一年間、学びます。

その後、師団衛星隊で3か月間、隊付教育を受けます。ここでは幹部候補生学校で学んだことをこの部隊実際に体験します。以上で、幹部候補生としての基本教育は終了です。

この後、海上、航空自衛隊の薬剤師は、自衛隊中央病院で臨床経験、さらに、陸上自衛隊衛生学校で8か月間、教育を受けます。

そこで衛生科職種の初級幹部として必要な知識、技術を学びます。これが終了してやっと「薬剤官」と言う薬剤師として病院、部隊に配属されます。

自衛隊薬剤師の業務内容

自衛隊病院で調剤や製剤、DI業務など薬局での業務、医薬品、衛生機材などの補充、保管整備に関する業務を又、陸上幕僚監部や方面総監部とでは薬務行政を、方面隊や師団の衛生科部隊は幹部自衛官の立場で指揮官、幕僚業務を行います、さらに学校の教官、研究職と、自衛隊の薬剤師の職域は広がっています。

イラクの支援活動をしていた陸上自衛隊Fさん(女性)はイラクから帰国後、北海道補給処補給部で薬剤師として医薬品の保管に関する指導、監督、向精神薬取り扱い責任者業務などを行っています。

他に陸上自衛隊北部方面隊の武器、通信、化学、衛生関連の装備品等の保管業務も担当しています。

陸上自衛隊の病院には衛生資材部があり、調剤や製剤を行う課と医薬品と医療器材の調達管路をする衛生資材課があります。それぞれの課に薬剤師が勤務しています。

また、意外なところでは、トラックなどの車両の新車配分や、整備された装備品の管理、各種物品の請求業務といった薬剤師の業務とは考えられない

ような業務にも従事しています。

イラク出国前の準備

Fさんが所属する陸上自衛隊北部方面隊から、第一次イラク復興支援隊を編成することになりました。

この支援隊を構成するのは、旭川駐屯地所属の隊員を中心として、北海道全域に散らばった駐屯地の隊員たちが集められました。

その中の40名が衛生隊で、色んな資格を持った医療従事者たちです。Fさん達の任務は、イラクの病院で巡回医療技術支援、派遣された隊員達の治療、後送、宿営地の防疫業務でした。

派遣準備は、派遣期間に発生が予測される疾病の一覧表をつくり、必要な衛生資材や医薬品を見積もりながら準備していきました。疾病野一覧表にはイラクの風土病、海外では頻発している疾病などが記されています。

しかし、このときの自衛隊員のイラク派遣はこれまでのようなPKOとは違い、後方で患者さんを受け入れてくれる国連の病院はありません。

従って、自分達の体は自分たちで守ることが鉄則です。そのため、あらゆる状況、疾病に対応できる「小さいけれども総合的な病院」を作ることを中心に隊員たちはそれぞれ、準備しました。

国内にいれば、すぐに入手できる医薬品などもイラクでは、そう簡単に入手できません。

活動に必要なものは全て日本から持ちだしたいところなのですが、輸送可能な量が限られているので、何でも持ち運ぶわけにはいきませんでした。

第一次派遣の後に続く第二次派遣部隊とイラクに持っていく医薬品、衛生器材について何度も検討しあいました。

その上に、Fさんの部隊は自衛隊札幌病院の協力を得て、持ち出すものの選定をしました。

現地で病院を造る

Fさん達は宿営地のあるイラクのサマーワに到着。このときの宿営地はまだ、小規模でした。

とはいえ、Fさん達よりも先に到着した医師達が小さいながらも治療や処置ができる医務室を造り、すでに治療を行っていました。

Fさん達が到着してからも、さらに宿営地は拡大され、医務室としての機能が、さらに発揮できるようになり、正式に医務室として開所するに至りました。

この医務室は、自衛隊の装備品から造られました。野外での手術ができるようにコンテナシェルタに医療器材を積み込んだ野外手術システム、空気柱で広がって伸びるテントのようなエアドーム、テント、拡張型のコンテナシェルタなどで作られました。

医務室はレベル2対応

国連が示す医療基準がレベル2と言うことなのですが、レベル2とは野外で緊急手術を行うことができるということ。

医務室では、一日に20~30名の患者さんの診察をし、健康診断、健康相談から、害虫駆除の対策までを行いました。

この医務室に訪れる患者さんの病気は消化器疾患、風邪などが多いです。急激な気候の変化に体がついていかないようです。

他に強い日差しが原因で火傷に近いような日焼けなどの皮膚疾患もみられました。

また、この宿営地に住む外務省職員や一時的に宿営地に留まっていたマスコミの方達も来られ、診療、健康相談に応じていました。

Fさんが経験したイラク人とのふれあい

Fさんがある日、輸送用のコンテナで医薬品を探していた時、ごみ回収業者が怪我をしたという無線連絡が入ってきました。

準看護師と一緒に現場に駆け付けました。現場には4~5人のイラク人がいて、その中の一人が指を抑えていました。

傷は浅く出血もそんなにひどくなく、消毒して、いつも持ち歩いているバッグの中にある絆創膏で処置をしました。

その時、他のイラク人たちが「シュクラン、シュクラン(ありがとう)」と嬉しそうに何度もお礼を言ってくれました。

当たり前のことをしただけですが、Fさん達の姿が見えなくなるまでイラク人たちは手を振ってくれました。

イラクの病院に技術支援

イラクに復興業務支援としてサマーワ総合病院などに、医師や看護師達が中心になって医療技術のサポートをしました。

サマーワ近くの病院にも、医療技術のサポートとこれから行うための調査のために出向きました。

その後、その病院に支援のため先着していた薬剤師とともに訪問しました。

出国する時T県医師会から「イラクでは構成物質が不足するだろうからイラクの病院に渡してほしい」とお預りしていたマクロライド系とニューキノロン系の抗生物質を持って行ったのですが、生憎、院長が不在だったのでその薬を渡すことができませんでした。

後日、別の支援隊の薬剤師達によって院長に無事に手渡されました。イラクの復興を願う日本の医師達の思いを伝えることができました。

この病院関係者はパソコンによる医薬品情報管理に非常に興味をもっていて、「パソコンで管理するためのデータベースを作ってほしい」と依頼されました。その時に彼らが書いたノートを見せてもらうと、当然ですが、全てアラビア語でした。そのため、現地の医師に英語で訳してもらいました。ノートの内容は日本の病院の医薬品管理とそんなに差はなく、少しずつ指導していくことにしました。

もう一軒、別の病院では、医薬品管理を保健師達が「パソコンデータではなく、今まで通りに記録で管理していけばいいのでは」と考えていました。しかし、結局は将来に対応できる新方式を指導したいということになり、パソコンでデータ管理をする方法の指導を行ました、これで、データベースを使うことで、彼らは将来に向けて今までより効率よく、合理的、適正な医薬品管理をすることが可能になりました、。

今後、現地に派遣された薬剤師のサポートぶりに期待が寄せられています。また、現地の医療関係者も正しい管理によって、より多くの患者さんの元に必要な薬が届くようになってほしいとFさんは願います。

派遣された薬剤師達

日本での自衛隊薬剤師の業務は多岐に渡っていますが、国外でも変わりありません。

Fさんの支援隊にはFさんを含めて4人の薬剤師が参加しました。復興業務支援隊に1名、衛生隊にFさんを含めて3人という構成です。

Fさん達は幹部自衛官としての業務、薬剤師としての業務がありました。衛生隊の副隊長も薬剤師でしたが、衛生隊全体の運用の指揮官補佐としての仕事がありました。

Fさんは薬剤班長として、もう一人の薬剤師と調剤や製剤を行う薬局の運営や膨大な医薬品補給、保管などの業務を協力しながらやって行きました。

砂漠の中で薬局を稼働させる!

Fさんの役職である薬剤班長としての最初の業務は、医薬品管理ができる薬局を作ること。

薬局業務開始のための準備として、まずはFさん達が持ってきた医薬品とFさんが現地に来るまでに在庫されていた医薬品合わせて、1万数千点に及ぶ約200品項目以上の医薬品の整理から始めていきました。

そのような経緯を得て、現地到着12日後には医務室の新しく作られたエリアに薬局を作ることができました。

医務室も前述したようないくつかの天幕とコンテナシェルタなどで成り立っています。

この計画は日本にいる時から検討してきたものですが、その時は、日本によくある病院と門前薬局のような配置も考えていたのですが、現地の気象状況などを考えると、その配置を断念せざるを得ないという結論に至りました。このため、薬局が患者さんにとってわかりにくい場所となってしまいました。

仕方なく、Fさん達の後にやってくる支援隊以降のプレハブの施設ができるまでの処置として、出入が簡単であった処置室に処方頻度の多い医薬品や緊急性の高い医薬品を設置し、奥まった薬局では在庫管理、処方管理を行うことにしました。

医薬品の種類や数量は、過去の海外派遣でのデータを参照して見積もったのですが、予想以上に急激に需要が増加してしまうこともありました。

例えば、下痢患者さんが多く出現した時のことです。整腸剤や補液の需要が一気に増えてしまいました。

原因はこの現地特有の砂嵐で、かなり強烈な熱風が吹き荒れ、辺りの空気は淡い黄土色のようになりました。この砂嵐があると、下痢患者さんが増えるという現象が起きました。

現地の薬は、日本同様の薬の効果が期待できない

現地での医薬品の調達は出来たのですが、日本で使用している時のような薬の効果が期待できないこともしばしばありました。

日本の医薬品を使用することを基本としていたので、医薬品や補液の需要が急激に増えた時は、医師達に日本と現地の医薬品の在庫状況を知らせ、代用可能な医薬品の選択を試みながら、処方量を調整し、業務を進めていきました。

何といっても、猛暑地であるため、注射液、医薬品等の温度管理には大変苦労しました。

薬局内に積み重ねられた医薬品の最上段に温度計を設置し、一日に数回、室温を計測しました。

設置したクーラー4台を稼働させても室温が上がることがしばしばありました。そのため、医薬品の最上部が30度超えることがないよう、クーラーの風向きを変えるなど色んな工夫をしました。

薬局以外での温度管理も大変!

外気温が40℃超えると、野外手術システムや天幕の空調設備関係が作動しなくなることがありました。

ICU室、ER室として使用していたコンテナシェルタの室温も予想以上に上昇し、そこにあった医薬品は一時的に薬局内に退避させなければいけませんでした。

医薬品だけでなく、コンテシェルタ内の酸素ボンベまでもが、素手で触れないほど熱くなるので、これも薬局へ速やかに移動させなければいけませんでした。

Fさんのその後

Fさんが所属した第一次復興支援群がイラク滞在中に多くの時間をかけたのは、復興支援活動の基盤づくりでした。

薬局もFさんたちと入れ替わる様にやってくる薬剤師が業務しやすいようにと薬局の基盤づくりに精を出しました。

そして、Fさん達の後に続いて現地にやってきた支援隊の手で確実にさらなる復興支援が進んでいきました。

イラクの本当の復興とは、他国の力を借りることなく、イラクのほとんどの人々が自力で平和に暮らせるようになることです。

そのお手伝いをFさんは薬剤師の立場を通してできる誇りを胸に、帰国する時まで業務に励みました。