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この話は約13年前のもので、記事としてはいささか、古い感じはします。

しかし、自衛隊の薬剤師ではなく、民間の個人薬局の薬剤師が参加したということに非常に興味を持ちました。

自分の薬局をやっていれば、それなりに充実した日々を送れるはずなのに何故、わざわざ、しなくてもいい苦労をしに行くのかと、不思議でならなかったのです。

このレポート参加者は東北の薬剤師3人

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この時期はまだ数年後に東北を悲劇一色にしたあの大震災が、地球の奥で待ち構えていたとはだれも予測していませんでした。

ある意味、平和な土地で順調に仕事をしていた3人の薬剤師がテロ多発地域パキスタンへ向かうことになりました。

三人の薬剤師をABCとし、隊長はA。記録者はCとします。

何故、アフガン難民キャンプへ?

自分の薬局を管理するだけでも大変、日本国内にいても薬剤師の問題が山積み、そんな状況で「YOUは何しにアフガンへ?」と、首をかしげる友人、知り合いがほとんどでした。

周りから見れば、この行動は思いつきの様に感じられるかもしれませんが、参加者の3人は決してそうではありませんでした。

きっかけは出発の一年前

このときに起きた世界中を震え上がらせた米国同時多発テロ事件が起きたのですが、この事件は3人に2つの疑念を投げかけました。

 

①メディアが連日、マスコミに流していた炭疸菌テロに薬剤師は、どう向き合うことができるか

②薬剤師はアフガン難民の救済にほんの一端でも加わり、自分たちの持つスキルを役立てることができるか?

 

①は3人が在籍する地域薬剤師会や自分たちの薬局を情報発信の拠点にして、市民に生物化学兵器に関して正しい情報の提供を行うことにしました。

②は、3人ともに知識不足を実感していました。情報も足りず、どのように動いていいのか全くわかりませんでした。しかし、毎日のようにテレビ新聞などから報道されるアフガン難民キャンプは、食料、医薬品不足で多くの難民が死亡しているという過酷な状況のものでした。

薬剤師としての意識を高く持つ3人は薬剤師法第一条に乗っとって、人民の健康維持のために適正な医薬品供給をしていく立場にあり、このまま難民たちを見過ごすことはできないという考えに達しました。

パキスタンに渡航するまで

パキスタンへ行くまでの準備は本当に一冊の記事が書けるのではないかと思うぐらい色々なことがありました。

成田空港を出発するまでの珍事件、難事件を紹介します。パキスタンに行くまでに破傷風、日本脳炎、A型肝炎、狂犬病の予防接種をしなくてはいけません。

このため、3人は週に一回、病院に通いました。そこで、看護師さんから「自衛隊の方ですか?」「警察官の方?」と尋ねられ、当然というか、薬剤師という職業の単語は出てきませんでした。また、この調査隊にフリーフォトジャーナリストのK氏も同行いたしました。K氏の反応も又、興味深いものでした。

それは、現地でどのような調査をするのがいいかと議論していた時の事。

「難民キャンプで使用されている薬の使用期限は、守られているだろうか?」

「現地で販売されている医薬品の中に偽物が混じっていないだろうか?」

「陽射が強烈で、医薬品が変質していないだろうか?」

などなど。

薬剤師としては少しも違和感のないものでしたが、K氏にとっては違和感だらけだったようで「えー?」と、声を上げていました。

「薬剤師さんてそんなことまで考えて仕事しているんだ」

彼の言動で薬剤師の仕事はまだまだ、知られていないことの方が多いんだと実感しました。

 難民キャンプへ

一口に難民(refugees)といってもテレビで観るような悲惨な難民ばかりではありません。「Old

Refugees」といって、1979年のソ連のアフガン侵攻をきっかけに逃れてきた人々と、「New refugees」といって後のアメリカ軍爆撃を契機に逃げてきた人々の2種類に大別されることをC氏達は現地で知りました。

驚いたのはお金がなければ、難民になれないということです。何故なら、アフガン国境を越えて家財道具を持ってパキスタンへ逃れるには、交通費や生活費が必要となるからです。半年から1年分の生活費を資金にしたり、土地などを売ったお金などで逃げていくのです。

そういうことからすれば、一番悲惨なのはアフガン国内にとどまっている人達です。その中には妊娠中の女性、戦争で体が不自由になった人もいます。

また、難民キャンプと言えば、白いテントが目につきます。それはまだ新しいキャンプ地でのこと。Old refugeesは自分達で土を捏ね、壁を造るなどして、定住できるような家を造っていました。人口10万人難民というキャンプは、もうキャンプではなく大都市と思わせるものがあります。

まずは井戸水から

3氏が訪れた頃のアフガニスタンやパキスタン北部は大干ばつに見舞われ、凄惨な状態でした。

薬剤師である彼らが真っ先に関心を持ったのは、井戸水の水質でした。使用できる井戸水は当然、多くないと思われ、汚染されている井戸水を使用している可能性は大であると、彼らは推測しました。学校薬剤師で水質検査は何度もやっているし、公衆衛生の向上は薬剤師の役目であることから、即刻に水質検査を実行いたしました。

これはB氏が中心となって、母校の大学の教授たちのアドバイスを受けながら、水質検査の手順、持参する検査キットを手際よく準備しました。

ある地域では、古くからの井戸が460個あり、まともに使用できるのは4個だけでした。

また、飲用となると、この4つも不可となりました。

衛生感覚の違い

アジア、アフリカを旅行する時、生水を摂取してはいけないのは常識です。従って旅行者が飲むのは、ミネラルウオーター。

又、きっちりとボトルキャップにシールが貼られていることを確認する必要があります。それは、何回も中身を補充し、商品として道の横などで売られているからです。

街の食堂に至っては、きれいな汚れていない皿に料理が盛りつけられてあると期待してはいけません。また、ハエが飛び交い、砂埃がたっていても不思議ではありません。

しかし、このあたりは日本にいる時からある程度は予測していました。

とはいえ、現地の医師達の衛生感覚はまともであるに違いないと考えていましたが、みごとに裏切られてしまいました。

難民キャンプの医療テント

ここでは難民達が健康診断や軽度の病気治療に訪れてきます。女性はブルカと言われる民族衣装を着たままテントの中に入ります。

イスラム社会での診察は、男女別々です。ちなみに食堂も男性と女性はカーテンで仕切られています。

一番最初に見学させていただいたのは、コトカイ難民キャンプの医療ユニットです。突然、隊長のA氏が怒鳴りました。

「ここの消毒はどうなっているんだ?」

テント内を注意深く見回すと、診察をしている医師達は、手洗い消毒を行っている気配はありませんでした。医療テントの入り口には、立派なステンレス製の手洗い用タンクが設置されているのですが、どの医師も手洗いをしません。

A氏は医療ユニットのスタッフ主任に思い余って、問い質しました。

「もう少し、消毒することに気を配った方がいいのではないか?」

「ここで手術は行われない。それなのに何故、消毒が必要なのか?」

現地の医療関係者がこのような衛生感覚なので、なかなか完全に治りきらず、患者の数は増える一方なのです。

保険医療の最もたる基礎である消毒をきちんと行えば、抗生物質の使用量も減少するはずです。C氏たちは、結局「予防に勝る治療は無し」と考えました。

ジェネリック薬、大活躍!

日本でも現在は、ジェネリックの使用が当たり前になりつつありますが、当時はすでに、欧米の先進諸国でのジェネリック薬の使用においては、高騰するばかりの薬剤費を節約するための道具となっていました。

そして、国内だけでなく、国外、国際的な市場までに視野を広げ、活発な営業戦略を練ってきました。その証拠をある難民キャンプで観ることができました。

国境なき医師団(MSF;Medicine Sans Frontieres)の医療テントで使用されている医薬品は、全てオランダのIDAという会社の製品です。

この会社は非営利を標榜して、国連難民高等弁務官事務所、WHO、MSFをはじめとする多くの国際機関やNGOならびに政府機関のご用達でもありました。

一方、日本の製品を持ち運んだのは、アジア医師連絡協議会(AMDA;Association of Medical Doctors of Asia)です。

安い後発品ではあったのですが、エッセンシャルドラッグではないものもありました。

エッセンシャルドラッグとはたくさんの人々の需要にいつでも利用でき、無ければ、人々の健康維持に支障をきたす基本的な薬剤ということで世界保健機構(WHO}がリストを挙げています。

また、ラベルや添付文書は日本語だったので、使いづらいとスタッフ達はこぼしていました。国際社会では英語表示が常識でした。

難民キャンプで薬剤師は役に立つ?

約2週間の調査でした。全面的に協力してくれた国連難民高等弁務官事務所がC氏達の護衛も担当してくれました、又、3人の身分証明書を発行した日本薬剤師会などのサポートのおかげで豊富なデータを日本に持ち帰ることができました。

これまではどちらかと言えば、医師の背後に隠れていたり、薬事政策作成を行政に任せていた態度を性急に改める必要があります。それが薬の専門家としての責務だとC氏達は、考えるようになりました。

パキスタンでの難民キャンプ調査を行ってみて、薬剤師が公衆衛生や医薬品の安定供給にスキルを発揮できることも再確認しました。

帰国後、色んな機関に今回の経験に基づいた提言をさせてもらいました。ただ、言い放っしではなく自分達は、それを実現しなくてはいけない責任があると感じました。

このような考えに、少しでも多くの薬剤師の方達に共感していただくことを期待してレポートを終わります。

国外に出る日本の薬剤師達

国外に出る日本の薬剤師達の目的は、色々あります。

自分の意志で、あるいは関わった仕事の関係で出張、赴任という目的で国外に出向きます。

その中で、一番、関心を注がれるのが、国内にしっかりした自分の仕事があるにも拘らず、あえて、短期、長期と国外に飛び出す薬剤師達のこと。

そして行先が先進国でなく、安全地帯ではない国、発展路上国等に出向こうとするとなると、周りの関心度は何倍にも膨れ上がります。

実際にここで紹介したアフガン難民キャンプに入った3人の薬剤師も行くと決意してから出国までの間、賞賛とも好奇心ともとれるような言葉を四方から頂いたようです。

しかし、彼らが有意義なデータをもって帰国した際には、全て賞賛の声に変わっていたことは言うまでもありません。

小さな薬局の薬剤師が経験した小さな国際社会

P氏が経営する薬局の近隣に、中国や韓国の若い女性達が学ぶ日本人学校があります。

片道、車で20分の道を自転車でよくこの薬局にやってきます。互いが片言の英語と漢字なので思っていたより、通じあえるので彼女たちとの交流をいつもP氏は楽しみにしていました。

ある時、二人の女性が先生の運転する車でやってきました。

「この子たちの背中の傷を見てください」

P氏は女性ですが、先生は男性。薬局の前は道路で車や人がたまに透ります。P氏は奥のガラス面のない倉庫に連れて行きました。一瞬、調剤室と思ったのですが、窓がガラスでどこが死角になるかわかりませんでした。

暗い倉庫に明かりをつけて、二人の背中を見ました。一方は、何かのひっかき傷で大したことがなさそうでした。処置も消毒程度で十分です。しかし、もう一方は皮膚が大きく避けていて、血糊が下着にもべったりとくっついていました。

服を整えた女性達を店の中に連れ戻し、P氏は声を発しようとしました。

「あなたたちは車の中で待っていて」と、車のカギを傷の浅い女性に渡しました。

先生は日本語でしたが、意味はわかるらしく、「はい」と言って、薬局を出て、前に停めてあった車に乗りました。

先生はそれを確認して、P氏に話し始めました。

「他の生徒の話では、二人が口論から喧嘩になったようで、背中の傷はその時のです」

「まだ、新しい傷ですよね?」

「ええ、二時間前ぐらいのことです。私は傷を見ていないからよくわからないんですが、見た生徒の話だと、病院に行くほどはないけど、ここの薬局で診てもらった方がいいというので

連れてきたんです」

P氏は日ごろから、彼女達の体の相談から、勉強、恋の話まで聞いていました。

「一人はこちらで渡す消毒薬で治ります。しかし、もう一人は病院で診察、処置を受け、

抗生物質をもらって飲んだ方がいいですね」

「どちらのほうがひどいのですか?」

P氏は、薬局内から見える先生の車に乗っている女性達の顔を見ました。

「この二人は中国人と韓国人なんですよ」

P氏は開きかけた口を思わず、閉じてしまいました。

おそらく、喧嘩した二人の存在は小さくても、喧嘩の内容はとてつもなく大きいものだと察しました。

それぞれが自国に対して誇りを持っています。

P氏の薬局は日本の細部の細部、毛細血管の末端のようなところにポツンと立っているほんの小さなお店ですが、ここにも国際社会がありました。